高橋恵の経歴は?おせっかいな営業の神様が上場企業の創業者に微笑んだ!

経営者
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高橋恵さんは一般社団法人『おせっかい協会会長』です。

高橋恵さんが考える『おせっかい』とは、見返りを求めず、ただただ相手のためを思った親切な行動のことなのだそうです。

高橋恵さんは『愛あるおせっかい』で人とのご縁をつなぎ、百年人生を楽しく豊かにするコツや実体験を社会に伝える活動をしています。

高橋恵さんは、2018年に東証一部上場を果たしたPR会社、株式会社サニーサイドアップ(1985年設立)の創業者でもあります。

今回、高橋恵さんがNHK『阿佐ヶ谷アパートメント2023』に出演し、おせっかいの極意を伝授します。

仕事も人生そのものもうまくいき、エンジョイしながらイキイキと過ごせる究極のおせっかいとはどのようなことでしょうか?

高橋恵さんの経歴とおせっかいについて調べてみました。

 

高橋恵おせっかい協会会長の経歴について

高橋恵さんは1942年、太平洋戦争の真っただ中に三姉妹の次女として生まれました。

電気技師だった父親は30歳で戦死し、3人の娘を抱え26歳でシングルマザーになった母親は、戦後に事業で失敗します。

手のひらを返したような世間の冷たさに晒され、押しかける債権者に家財道具一切を持ち去られました。

母の指から父の形見の真珠の指輪まで、強引にもぎ取る人の姿が今も目に焼き付いて離れないのだそうです。

一家心中の瀬戸際に追い込まれたある日、家のガラス戸に近所の人からの手紙が挟まっていました。

手紙には

 

あなたには三つの太陽(子供)があるじゃありませんか。

今は雲の中に隠れていても、必ず光り輝く時がくるでしょう。

それまでどうかくじけないでがんばって生きてください。

 

そう書かれていました。

人間のちょっとした優しさに、人の命を救うほどの力がある。

この時の強烈な印象、そして一家を養うために身を粉にして働く母の姿が、私のおせっかいの原点となったのです。

家計が困窮したため、高橋恵さんは知り合いの家に預けられましたが、その家で壮絶ないじめを受けました。

自由に大空を飛ぶ鳥のように世の中を自由に、自らの力で生きていこう。

そして、人間として、わけ隔てない生き方をしよう。

と14歳の高橋恵さんは心に誓ったそうです。

高校生になって実家に戻った後は、アルバイトをしながら姉の援助と奨学金で短大を卒業しました。

 

高橋恵さんのおせっかいに営業の神様は微笑んだ?

高橋恵さんは普通の短期大学を卒業後、広告代理店に就職しました。

保険、タッパーウェア、女性用カツラ、化粧品、栄養食品など、あらゆるジャンルの商品を独自のアイデアで売っては営業成績でトップを獲得しました。

特別な資格も学歴も人脈ももたない平凡な高橋恵さんは、多くの人から

どうしてそんなに売れるのですか?

と訊かれたそうです。

一人でも多くの人を喜ばせてあげたい。

相手が喜ぶだろうと思うことを繰り返し一生懸命やって来ただけです。

と答えてきたそうです。

このように営業だけは誰にも負けず、いつも『営業の神様』が微笑んでくれました。

高橋恵さんは『営業の神様』が笑ってくれる秘訣は5つあると言います。

  1. 行動(まずは動き、その上で考える)
  2. スピード(石橋を叩く前に渡れ)
  3. 情熱(情熱が人を巻き込む力になる)
  4. 愛情(得ることより与えることに鍵がある)
  5. 人間力(人間力とはおせっかい力だ)

「断られてからが営業の仕事」という言葉があるほど、営業はおもしろいことばかりではなく、断られることが多い仕事です。

満たされていないものや足りないものに対して不満をもつのではなく、それを自分が前進していくエネルギーに変えていけば、『営業の神様は』必ず見ていてくれる

と高橋恵さんは語ります。

 

高橋恵さんはおせっかいで上場企業の創業者になった?

高橋恵さんは40歳で離婚しました。

1984年高橋さんが42歳のときに、自宅だったワンルームマンションの一室でPR会社を創業しました。

当時高校生だった長女の次原悦子さんと、悦子さんの同級生の松本理永さんと3人でサニーサイドアップと名づけ立ち上げました。

『言ってみる』『やってみる』『行ってみる』とにかく行動を武器にし、『お礼状は当日中に書いて出す』を実践していたそうです。

何の実績もない会社との契約はできないと冷たくあしらわれたある営業先で、社長が誤って手にケガをした様子を高橋恵さんは目にしました。

すぐさま薬局に直行し、包帯や薬など一式を社長に届ける(見返りを求めない)『おせっかい』をしたのだそうです。

その数ケ月後に「あの時のお礼がしたい」と電話があり、思いがけずテレビコマーシャルの仕事をいただいたのです。

同様のエピソードは枚挙に暇がないと高橋恵さんは言います。

こうして2012年には電通PRを抜いて業界売り上げ1位になるまで急成長し、2016年には世界のPR会社19位(日本1位)にランキングされました。

そして2018年には東証一部上場を果たしました。

 

高橋恵さんについてまとめ

高橋恵さんは幼い日の父との死別や子ども時代の過酷な体験、母と見知らぬ人から受けた温かい愛情や思いやりに突き動かされるように幸せを追い求め、おせっかいにあふれる社会を目指して活動を続けています。

高橋恵さんは、

人間の思いやりの大切さをもっと多くの人に知ってほしいと願って、私は命ある限りおせっかいを続けていきます。

と宣言しています。

他人を思いやり、慈しみ合い、助け合い、支え合う『おせっかい』が、子ども達が安心して笑顔でいられる社会を作り、世界を変得ると信じて、日夜『おせっかい』に励む高橋恵さんを、私たちも応援していきましょう!

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