室山まゆみさんは、1978年から36年にわたって学習雑誌に連載を続けた、ギャグ漫画『あさりちゃん』の作家です。
日本一元気な小学4年生あさりちゃんが『濱野家』で巻き起こす、ギャグバトルを描いた痛快ドタバタコメディです。
室山まゆみさん姉妹が、日本テレビ『月曜から夜ふかし』に出演し、『姉妹の知られざる半生』について語ります。
室山まゆみさん姉妹のwiki経歴と、出身地熊本での子ども時代について、徹底調査しました。
室山まゆみさんのwiki経歴
『室山まゆみ』はペンネームで、姉・室山眞弓さん、妹・室山眞里子さん姉妹の共同名義として使われています。
姉・山室眞弓さんは、1955年8月30日生まれ、妹・山室眞里子さんは、1957年9月27日生まれで、共に、私立熊本女子商業高等学校(現・熊本国府高等学校)を卒業しています。
また、二人そろって激辛マニアで酒豪、嫌煙家です。
姉・室山眞弓さんは、お金を貯めて東京へ出ていくために、2年間だけ働くと決め、高校卒業後に就職しました。
ところが、幸運にも東京転勤の辞令が下りたため、姉・室山眞弓さんは上京することになり、妹・室山眞弓さんは姉の後を追って、高校卒業後すぐに上京しました。
東京で室山姉妹の漫画家としての人生が本格的にスタートし、上京から1年後の1976年に、『別冊少女コミック』(小学館)「がんばれ姉子」で姉妹デビューしました。
姉・室山眞弓さんは、5年間会社勤めをしながら漫画制作に励みました。
その頃の様子を姉・室山眞弓さんは
上京して2年目から結構忙しくなり大変だった。
しかし、今振り返るとあの頃はとても楽しかった。
マンガを描くことが自分の仕事になったことと、それ以外に会社で働いた給料が貯まっていく満足感があったからだ。
と語っています。
真弓さんの会社勤めの給料はそれほど高くはなかったのですが、自分で稼いだお金で生活し、漫画で得た収入を全部貯金していたそうです。
貯金が増えていくのが当時の楽しみのひとつだったようです。
妹・室山眞里子さんは、鉛筆で下書きを描く下絵を担当し、下絵の描線をインクや墨汁でなぞって引き直し仕上げるペン入れを姉・室山眞弓さんが担当しています。
基本的にはアシスタントを使わず、二人だけで制作作業をします。
2014年には室山まゆみさんが『あさりちゃん』で、「二人組による1コミックシリーズ最多発行巻数(女性作家)」としてギネス世界記録に認定されました。
ギネス認定は、読者の方から
姉妹でこんなに長くひとつの漫画を描いている人なんていないと思います。
ギネスブックに載るんじゃないでしょうか。
ギネス申請してみてはいかがですか。
という内容のお手紙が届いたことがきっかけだったそうです。
室山まゆみさんの受賞コメント
その時はまさかあり得ないと二人して笑いました。
それが現実になるとは正直びっくりです。
ただ普通に仕事として二人で漫画を描いてきたことが「記録」として認定されるのは気恥ずかしくもありますが、それ以上に誇らしい思いもしています。
出典:YouTube「おっかけ!芸能ニュース」
室山まゆみさんのルーツ熊本
室山姉妹のルーツは熊本県玉名市にあります。
玉名市は熊本県西部に位置する、人口約63,000人ほどの自然豊かな街です。
室山姉妹は玉名市に生まれ、小学生になって熊本市に引っ越すまでの幼少期を過ごしました。
漫画『あさりちゃん』は、小学館の学習雑誌『小学二年生』で、1978年8月号から連載が始まりました。
室山まゆみさんは
子どもの頃の思い出と記憶が『あさりちゃん』の大きな柱となっている。
本を読むことが好きだったから、ネタの蓄えがあった。
と話します。
『あさりちゃん』は雑誌での連載が続き、単行本も出版され始めたことで、アニメ化の計画も立ち上がり、1982年1月~1983年2月まで、1年以上にわたってテレビ朝日系列で放送されました。
しかし、当時のアニメ放送業界には、根強い東京偏重主義や地方蔑視の意識が歴然と存在しており、作者が使う方言『熊本弁』をからかわれ、放送内容を議論する場で、まともな話し合いができなかったこともあったそうです。
室山まゆみさんは後に
アニメ化なんて、二度とごめんだ!
と語ったと言います。
室山まゆみさんの子ども時代
室山まゆみさんの子ども時代の思い出が、玉名市のホームページ『玉名市の有名人』で紹介されています。https://www.city.tamana.lg.jp/q/aview/112/2216.html
室山姉妹が小学校低学年の夏休みに、繁根木川の河川敷に移動テントのサーカスが来ていたそうです。
サーカスに一度だけ行ったことがあります。
大きなテントが一つと小さなテントが一つ。
その一つは見せ物小屋で、看板だけはおどろおどろしかった。
でも中に入ったら、おばちゃんが小さな蛇を口に入れていただけだったんですよ。
と、笑いながら姉・室山真弓さんが話します。
小学校のときは、玉名駅近くの観音堂の境内に紙芝居が来ていました。
今振り返ると、こんな体験は豊かな思い出となっている。
古い木の枠の紙芝居で、売っていたものは水あめやのしイカだった。
紙芝居のおじさんは「買わない子は帰れ」と怒鳴っていた。
毎年夏休みには2週間程いとこの家へ行き、一緒に遊んでいたそうです。
いとこと4人で紙芝居に行ったり映画を見に行ったりしていた。
その当時は、遊ぶ道具が少なかったので、女の子4人で漫画を描いていた。
普通に描いていて、「上手だね」とほめられるとすぐ有頂天になっていた。
この頃から姉妹で漫画を描くようになったようです。
妹の室山眞里子さんは
一人で絵を描いていると、周りにいる大人たちが「上手だね」と言ってくれ、それが嬉しかった。
「何か描いてもらおうかな」とお願いされ、それをもらってくれる大人がいた。
絵を描くことがさらに楽しくなった。
と話します。
二人が小学校の中・高学年になった時には、さすがに親も勉強しなさいと言い出したのですが、その時は苦しまぎれに
私は将来これで食っていくから、これでいいんだ。
私は漫画家になるから、今勉強も大事かもしれないけれど、将来のためにがんばっているんだよ。
と言い訳したそうです。
こうしてマンガを描き続けているうちに、雑誌への投稿が目標となってきた室山姉妹が最初に投稿したのが、姉が中学2年、妹が小学6年のときでした。
中学になった時にはかなり本気で漫画家になりたかった。
高校生でプロになれると本気で思っていた。
高校1年生の女の子がデビューした雑誌の記事を読んで、絶対自分もなってやろうと思ったのだそうです。
高校生での漫画家デビューは叶いませんでしたが、運命に導かれるように、就職先で東京に転勤となり、室山姉妹はふたりで一緒に、漫画家としての夢を実現させていくのでした。
【「あさりちゃん」ファンクラブ🖋
スタートしました🎉】入会はこちらから🤲🏻https://t.co/N1cxnQ6af6
詳しい参加方法はこちら▽https://t.co/T9dnSXCS1h pic.twitter.com/23qzNJdccx
— 「あさりちゃん」公式サイト運営 (@asari_staff) August 18, 2020
室山まゆみさんについてまとめ
室山まゆみさん姉妹は、漫画家としてデビューしてから今まで、『締め切りから逃げない』ことを守り通して来ました。
1回でも締め切りを守らなかったら、長年かけて築き上げてきた信用も信頼も一瞬で失ってしまうからである。
この信念を貫いてきたことで、漫画家となってから1ヶ月と仕事が空いたことがないと言います。
室山まゆみさん姉妹は、メッセージに子ども達への願いを込めます。
子どもは子どもらしくあってほしい。
そのためにも、読書をたくさんしてほしい。
読書をすれば、相手のことを考えるようになるし、感受性を高めることもできる。
そして
今の子ども達は塾や習い事で「忙しい忙しい」と言う。
これは時間の使い方が下手なだけなのである。
学校以外での活動があろうが無かろうが、もっとのびのびと、屁理屈をこねることなく、子どもらしく過ごしてほしい。
未来ある子ども達にエールを送っています。
国民的な少女漫画『あさりちゃん』は、令和5年にシリーズ102巻目となる新刊を発売しました。
ファンにとってはたまらない奇跡の新作です。
まだまだ進化し続ける山室まゆみ姉妹を、これからも応援していきましょう!
コメント